このページでは、機関誌「國の支え」 バックナンバー 一覧を掲載しています。
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防衛大学7期の陸・海・空3自衛隊の退役将軍、提督の「国防放談会」を掲載。 佐々木英嗣元統幕学校長、村田秀信元沖縄第一混成団々団長、山本安正元海上幕僚長、平賀源太郎元潜水艦隊司令官、佐藤守元南西航空団司令官の5名に発言はなかったが玉井秀幸元対潜哨戒機飛行学校長で対談。 いまに至るも貴重な発言が満載と自画自賛。
元陸上自衛隊中部方面総監・松島悠佐氏(防衛大学5期)の「国軍への脱皮を願う」を掲載。 その松島氏がテレビで涙を滲ませて会見していた事を思い出す。それ故か、氏の講演録には自衛隊法の不備が切々と綴られている。結局、憲法を改正して世界標準の軍隊にしなければ解決しない。
「関東軍とシベリア抑留」特集。昭和31年12月の最後の引き上げ船で帰還した山本明元陸軍少佐(陸士53期・大正8年生)を囲み高橋会長、奥村直氏、中島元氏で座談会を催す。貴重な昭和史の記録であろう。
発行 高橋会長の年頭の辞「国家の本義に目覚めよ」を一面に掲載。昨年秋の衆議院選挙で苦杯を嘗めた高市早苗氏の敗戦の弁を3面に掲載。
小泉内閣の環境大臣に就任された小池百合子氏の「海洋国家・日本の課題」と題しての論稿を掲載。 また、9月1日より、関西防衛を支える会の事務所を現在の住所に変更した。
「イラク戦争と満洲事変」と題して奥村直氏の論文を掲載。奥村氏の本職は武蔵野美術大学出の画家だが戦前の名門海軍雑誌『海と空』が戦後復刊したときに「軍艦」の挿絵を担当して、旧海軍の提督や名戦記作家の伊藤正徳氏の知遇を得て、現近代史の造詣深く市井に埋もれた論客である。
2月22日開催の定時総会の防衛講話。講師・山本安正元海上幕僚長(防衛大学7期)の講演録を掲載。 山本海上幕僚長の退官間際に北朝鮮の不審船が領海侵犯(11年3月)の末え能登半島沖を逃走。 不審船を追跡する海上自衛隊のP3C対潜哨戒機による停船射撃も許されず、船首の1キロ先に爆弾を投下するくらいしか、当時の村山内閣は許可しなかった。テレビに写る山本提督の唇を噛み締めた無念の表情が脳裏に残る。
高橋会長の年頭挨拶「自主独立を貫け」と村山談話を批判。 また高市早苗経済産業副大臣の「政府の歴史認識見解見直し」を掲載。
小池百合子衆議院議員の「小泉総理訪朝」に対する要望感想、総理に「神算鬼謀はありや?」と窮鼠猫を噛む北朝鮮への対応を論考。
「一億の人を救うはこの道と 母をもおきて君は征きけり」と特攻隊で散華した子息を偲ぶ母親の和歌を挙げて「亡国を知らざれば、これ即ち亡国なり」と西村真悟衆議院議員の論稿が1面を飾る。
元大阪府警・警視長の中島元氏が「軍と警察の一体化」と題して、剣道家らしく「後の先で勝てるのか」と専守防衛の不備を訴えている。(故人・当時大阪21世紀協会常務理事)
この号は6ページとなる。高橋会長の「願望は真の独立のための憲法改正」と題する巻頭論考を掲載。
「羊頭狗肉の防衛二法」と題する西村真悟代議士の国防に対する法制度の不備を指摘する論稿が1面。 西村氏の説く、国軍としての自衛隊が世界水準の国際法規と慣例から逸脱していて、国内法に縛られる法制度の欠陥を突いている。
一面掲載論文は神奈川大学教授の小山和伸氏の「真の国政改革への道」。 また、この号の4面には故人となられた元府議会議長の吉村鉄雄氏の「岸信介を担いだ男」と言う、大阪選出の大倉三郎代議士の語る戦後政治の秘話が掲載されている。 大倉代議士いわく「岸さんには運もあったが『国家に対する気迫と使命感があった』 君たちも命をかけて国家に奉じてくれ」との訓話を吉村氏は語る。 「国家に対する気迫と使命感」は孫の安倍総理に引き継がれていると診る。
この号は掲載論稿が多く、ページ数を6頁にする。 元空将の佐藤守氏(防衛大学7期)の講演録「国際情勢の見方」と元インドネシアの防衛駐在官の加藤寛二氏(防衛大学7期・元一等海佐)のインドネシア独立に貢献した日本軍人の功績論稿など。
この年は21世紀の幕開けとなり、高橋会長の獅子吼する新年挨拶を掲載。趣旨は国家に殉じた英霊に感謝しよう、国会議員はすべからく靖国神社に参拝すべし。 この号から元統合幕僚長の矢田次夫氏(海兵72期)の回想録「私の海軍生活」を4回にわたり連載する。(故人)
「中国海軍は日本の南西諸島を狙っている」と中国の動向を解説した鈴木満男博士の論稿を掲載。 博士は海軍経理学校から東大法学部をへて順天堂大学などで教鞭を執られ、海軍兵学校75期の高橋会長とコレス(同学年=海軍では兵学校、機関学校と経理学校の3学校を併せての同期をコレスと呼ぶ)であった。 『神社新報』を創刊され、編集長・社長を務められた「葦津珍彦」氏の高弟でもあり、神社新報にも良く寄稿されていた。 また、現在休刊となっている文藝春秋社発行の月間雑誌『諸君!』の常連執筆者でもあった。 『神社新報』は昭和20年10月に、占領軍GHQの神道迫害に対抗するため、当時の神社庁総長から「これからは、筆一本で戦わねばならない、神社界の理論武装のため葦津君やってくれ」との依頼を受けて創刊された。 当時、葦津氏は35才であり、昭和20年10月と言う敗戦直後の時期に感銘するとともに、今や全国の神社の必読の機関紙となっている。 戦後民族派言論界の重鎮・葦津先生の論文集は『葦津珍彦選集』全3巻に収録されている。(神社新報社刊) また、葦津先生は神社新報のカテゴリーからはみ出す論稿は毛呂清輝氏の主幹する『新勢力』誌に「八島三郎」と云うペンネームで執筆された。これは「大八洲」に由来する。 『新勢力』の編集を手伝っていた鈴木博士が葦津選集編纂に携わり、その論考は選集に掲載されている。 これは、戦後民族派運動の貴重な軌跡であろう。
この号より印刷所を(株)新聞印刷に変える。 「平和主義と帝国の知」は車の両輪である、と喝破する鈴木満男社会学博士の論文が1面。(故人)
世界最大のテント業者である太陽工業(株)能村龍太郎会長の経済同友会の安全保障委員長としての体験談を掲載。 「我々は如何に生き残るか」と題して、恫喝する「貧者の核兵器」考察を我々は肝に命じなければならない。(故人)
平成12 年1月1日・機関紙『國の支え』第1号を発行。 創設以来、奇数月に理事会を開催して「会」の意志統一と目的の確認を図ってきたが、高橋季義会長の素晴らしい講話を理事だけで拝聴するのは勿体ない、これを広く会員の皆様に知ってもらう為に会報(機関紙)発行を理事会に計り決定した。 題名は、軍事的国家防衛は直接的には自衛隊だが、その自衛隊を支えるのは国民である、との観点から「國の支え」と理事会で決定した。 高橋会長から、俗に云う3号紙で終わらないように頑張れと編集子に激励があった。 題字は当時95才になられた元大阪府議会議長の中井信夫氏の揮毫による。故中井氏は会長代行を努めて頂いていた。 中井氏は旧制堺中学(三国丘高校)から大阪薬専を卒業。
創刊号には
高橋季義会長の新年の挨拶と陸上自衛隊中部方面総監・中谷正寛陸将、海上自衛隊呉地方総監・仲摩徹彌海将、航空自衛隊奈良基地司令兼幹部学校長・吉田松徳空将補の創刊のお祝いと新年のご挨拶を掲載。 他に建設大臣の中山正暉氏、西村真悟衆議院議員など。